【衝撃】今ある手相の9割は西洋からやってきた!

手相の知識の中にはプロの手相家にとっては当たり前なことでも、一般の方には意外と知られていないことがいくつがあります。

 

その代表と言って良いのが、日本にある手相のほとんどが東洋手相術ではなく西洋手相術であるという事実です。

 

日本はもちろんですが世界的に見ても西洋手相が主流です。東洋手相のみを使っている人は少ないと思います。

 

ではなぜ西洋手相が世界的に広まり、東洋手相が衰退してしまったのか?

 

東洋手相は人相の一部として存在していた

 

日本に西洋手相が入ってきたのは大正時代と言われています。

 

それまでは日本でも東洋手相が使われ、江戸時代には観相の大家水野南北が現れ、庶民の間にも東洋手相を含め観相術が広まりました。

 

ただその当時の文献を見ると、東洋手相はあくまでも人相の中の一部としての記述しかなく、手相をメインとして扱うことはありませんでした。

 

しかし、西洋では20世紀初頭に現代手相の始祖でもあるキロという手相家が現れ、手相の研究が盛んになりました。
その時、西洋手相の原型ができあがり、今もその手相術が元にして多くの占い師が活用しています。

 

つまり、東洋手相は手相ではなく人相として研究が行われ、西洋手相は手相として研究が行われたことが、今現在の西洋手相と東洋手相の広がりの差になったと推測されます。

 

東洋手相は「型」で見る、西洋手相は「線」で見る

 

もう一つ考えられる利用としては、当時の占い師が西洋手相の方が鑑定の際に使いやすく、「当たる」と感じることが多かったのではないでしょうか。

 

東洋手相では「運命線が手首から出ている手相」「運命線が生命線から出ている手相」のように、それぞれに「○○紋」という名称があり、一つ一つが独立した手相として紹介されています。

 

しかし、西洋手相では運命線という一つのカテゴリーに対して、長さや始点や終点などの違いを見てそれぞれの意味を解説しています。

 

そのため、西洋手相の方が応用が利きやすく東洋手相よりも実戦向きです。

 

東洋手相の文献の中には「そんな線存在するの」と思われるような驚きの手相も紹介され、そのままの状態では実際の鑑定に使えず、活用するには噛み砕く必要がある線も存在します。

 

それ以外にも時代の流れやタイミングなど、西洋手相に追い風が吹いたのかもしれません。

 

東洋手相はひっそりと生き残っている

 

西洋手相主流の現在でも東洋手相はひっそりと存在し、多くの手相家が東洋手相術も利用しています。

 

例えば、前に紹介した「俵紋」は西洋手相にはなく、東洋手相から生まれた線です。

俵紋についてはこちら

『2万人鑑定してもなかなかお目にかかれないレア手相ベスト3』

 

それ以外にも「仏眼紋」「三奇紋」など、最後に「紋」とつく名前のものは東洋手相と考えてもらってほぼ間違いありません。

 

東洋手相の文献も残ってはいるので、興味がある方はぜひ調べてみて下さい。

こちらで東洋手相の文献を紹介しています。

『手相家から見た手相占いの本おすすめベスト11を紹介』

 

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