歴史に名を残すような人物には、一つや二つ都市伝説的なものがあるものです。手相の世界にも「本当に?!」とツッコミをいれたくなる都市伝説は存在します。その一つが豊臣秀吉の運命線です。
運命線が中指の指先まであった!
【謎】左手の親指が2本あった説
ちなみに豊臣秀吉が刻んだと言われている運命線のはこんな感じです。
中指の指先まであったとされています。通常は長くても指の付け根までなので、かなり長いことがわかります。
もし、本当に刻んだのならかなり強欲で相当な野心家だったと可能性があります。日本を統一しようと思うのですから、それぐらいの強欲さと野心がなければ無理なのでしょう。
さらに、豊臣秀吉は左手の親指が二本あったともいわれています。前田利家の「国祖遺言」やルイス・フロイスというキリスト教の布教のためにやってきたポルトガル人の「日本史」の中に豊臣秀吉の親指が二本あったという記述があるみたいです。
しかし、これらの文献に書かれていたことがどれだけの信憑性があるかは定かではなく、私怨が含まれていたのではという説もあり、はっきりとはしないみたいです。
もし、本当に左手の親指が二本あったのなら、そこにコンプレックスを感じ手相を刻むにいたったと言うことも考えられますし、普通の人以上に手に興味をもつ気持ちもわかります。
【疑問点】運命線を刻んだのが左手ではなくなぜ右手?
一つ疑問が残るのは、運命線を刻んだのがなぜ右手だったのか?ということです。
前にも記事に書きましたがその昔の東洋手相では、男性は左手を見て、女性は右手を見るのが通説でした。※【手相の疑問ベスト1】右手と左手どっちを見る?
しかし、豊臣秀吉が運命線を刻んだ手は右手です。もし、手相の知識があれば左手に刻むはずで、右手に刻まれたというのはどうも合点がいきません。
考えられるのは、僕が知らないだけでその当時の手相術は右手が主流だったのか?または、ヤブ占い師をつかまされたのか?今でいう若気の至りでタトューを入れる感覚と同じで、勢いで運命線を刻んだのか?謎は深まるばかりです。
【疑問点】そもそも豊臣秀吉の運命線は良相なのか?
そもそもの話になりますがこの運命線が良相なのか?という疑問が残ります。
手相は指にも様々な情報があり、運勢を判断していきます。その時、見るポイントの一つとして「指に傷がないか」を必ずチェックします。傷があればそこは問題が出る箇所と考え、その指のもつ意味や時期と照らし合わせて判断していきます。
豊臣秀吉の手相は運命線の延長の前に、指に傷を作ってしまったと考えなけれいけません。もし、豊臣秀吉が鑑定にお客さんできたら、運命線がどうこうの話はせず、中指の傷を見て、そこから生じる問題についての対策を話すと思います。
例えば、「大器晩成で若い頃は困難も多く我慢が必要になりそうですね」などです。
この運命線が自然発生したものであれば良相と考えるのもわからなくもありませんが、傷によってできたものであれば、通常の手相の考え方で見ると良相とは判断できず、むしろ、凶相です。
豊臣秀吉の手相がどのような手相だったのかは、今の文献だけでは本当のところはわかりりません。だがしかし、時代を越えてこのような都市伝説が囁かれること自体が、豊臣秀吉が偉大な人物であったことのあらわれだと思います。
同じく戦国武将では徳川家康の手相の検証記事もあります。ぜひご覧ください。