知能線と感情線が繋がり1本線になっている特殊な線をマスカケ線と呼びます。
見てからに普通とは違うオーラがばしばし漂っていますが、マスカケ線は運勢が強烈でオリジナルティに溢れ、人生は波乱万丈になりやすく最後に大きな成功をつかむ手相です。
江戸時代を築いた徳川家康が、なんとこの個性溢れる手相だったと言われているのです。「本当に?」そんな疑問に答えるべく検証してみたいと思います。
徳川家康は両手ともマスカケ線だった!
徳川家康がマスカケ線だったと言われるゆえんになったのが、静岡県の久能山東照宮にある手形です。
この手形が徳川家康のものといわれ、久能山東照宮に行けば実際に見ることができるみたいです。
確かにこの手相を見る限りでは、とても綺麗なマスカケ線をもっていたと推測できます。さらに、愛知県の六所神社には徳川家康の左手の手形の石碑があります。どうやら東岡崎駅前にも同じ手形の石碑があるみたいです。
久能山東照宮にある手形ほどきれいではありませんが、マスカケ線と呼べる手相の形をしているように見えます。
この二つの手形を見れば、徳川家康はやっぱりマスカケ線だった!と祝砲を打ち鳴らしたくなるところですが、でも本当にこの二つの手形が徳川家康のものだったのか?その真偽を立証するものがありません。
そこで占い師らしく徳川家康のエピソードにマスカケ線らしさがあるか探ってみたいと思います。
徳川家康の3つのエピソードを検証
1、三方ヶ原の戦で敗走した徳川家康が脱糞した
敗走中に恐怖のあまり馬上で脱糞をしてしまったそうです。このエピソードだけを聞けば、マスカケ線らしくはありません。マスカケ線は大胆で逆境に強く、恐怖に立ち向かっていくタイプです。気が強すぎて問題になることがあるぐらいです。
しかしながら、討ち死に寸前まで追い詰められたこの戦の中で敵軍を打ち倒して生き抜いたところは、マスカケ線の逆境の強さとも言えなくはありません。
2、徳川家康はケチだった
徳川家康のケチ度合いがわかるエピソードとしては、新しい服をあまり買わず何度も洗濯して使っていたため、周囲から新しい服を着てほしいという苦情が出た。
家臣が華美な屋敷を作らないよう与える敷地は小さくして、自身の屋敷も質素だった。などなど。
ちょっと調べただけで様々なケチケチエピソードがでてきます。
マスカケ線は執念深さはあるものの細かく考えることはあまり得意ではありません。大胆にお金を使いすぎてしまうエピソードが残っているならわかるのですが、節約エピソードがたくさんあるのは、これもマスカケ線らしくはありません。
3、徳川家康は健康志向だった
健康志向のエピソードとしては、質素な食事を好み決して贅沢三昧で食べ過ぎるようなことはなかった。お酒は強くはあったが飲み過ぎることはなかった。専門家が驚くぐらい生薬に精通していた。などなど
これらのエピソードだけ聞いたら、真面目なサラリーマンにしかみえず、破天荒系の上司がいたら「たまには羽目を外せよ」と軽くなじられることがありそうなタイプです。
少なくともマスカケ線の大胆さや激しさは感じません。どちらかといえばマスカケ線の真逆のような、そんな印象さえ感じてしまいます。
まとめ
残されている逸話から考えてしまうと、マスカケ線とは思えず、もっと真面目なしっかり者の線をもっているように思えてなりません。
しかしながら、その逸話も真偽のほどはわからず、世には出ていないマスカケ線らしい豪快エピソードがあるかもしれません。
真実はひとまず置いといて、天下取りの手相と呼ばれるマスカケ線を実際に天下統一を果たした徳川家康がもっているとされているのは、手相家的には夢があってとても好きな伝説の一つです。
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